2014年10月9日木曜日

町田の学童保育の歴史

●公立化  1963年~1978年

 町田市の学童保育は、63年に始まり年々増えていきました。当時は専用施設がなく、集会所を利用するなど、子供たちの遊ぶ場がありませんでした。働く指導員は時給500円という時代でした。
 これを改善しようと保護者と指導員の運動が始まり、父母連絡協議会が結成され、74年に「指導員の正規職員化を求める請願」が採択されました。これが力となり、78年に13ヶ所あった全ての施設が公立クラブとして生まれ変わりました。


●委託化  1979年~1991年

 学童保育の需要は高まっているにもかかわらず、財政難を理由に委託化の方針が出され、幼稚園や保育園を運営する法人や、保護者が結成した団体(運営委員会)に委託する動きが生まれました。公立クラブの設置を願う保護者や指導員の要求に反して、委託制度が作り上げられていきました。
 特に「運営委員会」に委託したクラブでは、保護者が自ら施設や指導員を探し、運営を行う苦労を背負うことになりました。


●一小学校区一クラブ設置をめざして  1992年~1997年

 92年、学童保育の需要に応えるために、町田市は検討委員会を設置し、一小学校区一施設を目指す答申を発表しました。
 93年には障害児の入会希望が増える中、障害児がいる学童には指導員を増員することを正式決定しました。
 97年には国が学童保育を児童福祉法に位置づけた事もあり、「一小学校区一クラブ設置」「待機児童をつくらない」「学童保育の運営は公立公営で」を求める請願が市議会で採択されました(09年に実現)。


●公社学童の誕生と育成料導入  1998年~2002年

 請願が採択されたことで、学童保育の充実がはかられていくことを期待した保護者の願いに反して、98年に財政難を理由に公立クラブの順次廃止を町田市が発表しました。公立クラブを「学童公社」に移行するとともに、これまで無料だった育成料を有料(月額5000円)にするというものです。保護者の連日の運動にもかかわらず、市議会で決定されました。公社クラブは現在の社協クラブの前身です。


●指定管理者制度導入  2003年~

 国の法律により、町田市の学童保育にも指定管理者制度が導入されました。町田市が建設した学童クラブは町田市直営または町田市が指定した民間等の管理者によって運営されることになったのです。
 今後、町田市が新規に建設する施設は全て指定管理者による運営となります。


●特別保育事業の導入  2010年~

 2010年1月に東京都が、「都型学童クラブの創設」を発表したことに伴い、町田市の学童保育でも閉所時間が午後6時から7時に延長されることになりました。ただし、時間延長が7月1日から実施された学童保育クラブと、それ以降に時間延長が実施された学童とが存在し、町田市全体で一斉実施にならない実態もありました。


●通所支援事業の導入  2010年~

 特別支援学校から学童クラブにスクールバスを利用して通所する学童に対して、各学童の指導員が最寄りのバス停まで迎えに行くことが制度化されました。

以上

※.町田市学童保育のしおりより抜粋記載



相原たけの子学童保育クラブの歴史は →→→  こちらから確認できます